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東京地方裁判所 昭和34年(ワ)3792号 判決 1963年2月13日

原告 成瀬正純

被告 国 外四名

訴訟代理人 宇佐美初男 外二名

主文

一、被告大原則文は原告に対し金五万円の支払をせよ。

二、被告大原則文に対するその余の請求並びにその他の各被告に対する原告の請求は何れも棄却する。

三、訴訟費用のうち、原告と被告大原則文との間に生じたものはこれを四分し、その三を原告の、その一を同被告の負担とし、原告とその余の各被告との間に生じたものは原告の負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、申立

当事者双方の求める裁判は、別紙記載、請求の趣旨、掲記のとおりである。

第二、主張

当事者双方の主張は、別紙の相当欄掲記のとおりである。

第三、立証〈省略〉

理由

第一、請求原因一、について

原告主張の日時、訴外市川クニが原告を蹴つたことは被告国の認めるところである。そこで、被告国の正当防衛の抗弁につき按ずるに、証人市川クニ同渡辺鉄雄の各証言に、検証の結果を綜合すれば右抗弁事実はすべてこれを認めることができる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前顕各証拠に対比して当裁判所のにわかに措信できないところであり、他に右認定を左右するに足る証拠はない。よつて、原告の請求原因一、の請求は理由がない。

第二、次に請求原因二、について判断する。

一、成立に争がない乙第一乃至第三号証、第八号証の一乃至三、第一二号証、第一六号証の一、二第一七号証、第一八号証の一、二証人大草正夫の証言により真正の成立が認められる乙第四、五号証被告本人原保尋問の結果により真正の成立が認められる乙第七号証被告本人辻村福之助尋問の結果により真正の成立が認められる乙第一三号証、証人東条しげの証言により真正の成立が認められる乙第一四号証に、証人皆川ツヤ、同市川クニ、同浦松和佳子、同丸毛静香、同神谷喜美、同大草正夫、同宮崎虎雄、同小峰正雄、同東条しげ、同吉沢美生子、同柳沢浩、同成瀬年子の各証言並びに原告本人、被告本人辻村福之助、同原保各尋問の結果を綜合すると次の事実を認定することができる。

(一)(1)  原告は昭和二九年六月一日から生活保護法による生活扶助医療扶助を受けている者であるが、昭和三三年九月二八日国立村山療養所第五病棟に腰椎カリエスのため入所し、同年一〇月一五日同所第二病棟に転棟し、同年一二月二六日晴望園病院に転院するに至る迄右療養所において治療を受けた。右治療中原告は患者心得に違反し、安静度二度の患者であるに拘らず、医帥、看護婦の命に従わず無断外出多く、また病室内を徘徊する等、その療養態度極めて不良であるのみならず常軌を逸した粗暴な行動が度重なり、分けても

(イ) 昭和三三年一一月一六日頃看護婦神谷喜美に果物ナイフを突付けて脅迫し、

(ロ) 昭和三三年一二月一八日、看護婦浦松和佳子に対し、尿の入つた尿器を投付け

(ハ) 右同日、前記認定の様に看護婦市川クニの乳房を握る

等のことがあつた。

(2)  原告は前記(ロ)(ハ)の行為があつた直後第二病棟主任の医師である被告原から行状につき注意を受けたにも拘らず反省することなく翌一九日無断外出し、同夜は外泊し、翌二〇日帰所するや、前記第一において認定した様に市川看護婦が原告の左下肢を蹴つた際、原告が傷害を蒙つたと称し村山療養所長に対し治療代を請求すると共に、回答なき場合は、右市川看護婦を業務上傷害罪に因り告訴し、新聞紙上に報道する旨の抗議書(乙第八号証の一)を同所長宛提出した。

(3)  前記(イ)の事実があつた翌日、病棟委員及び原告と同室に入院中の患者数名が、前記原医師に対し、「前夜は怖くて眠れなかつた、原告を他の室に移転させるか、自分等を他の室に移して貰い度い」と申出でた。

(二)  被告原(前記原医師)は、昭和三三年一二月一九日村山療養所係官を通じて立川福祉事務所係官に対し、原告の前記の様な行状を連絡し、原告は安静度二度の患者であるにも拘らず、上記の様な療養態度では、カリエス治療の好結果を挙げられないから、原告を自発的に退所させるように措置してほしい、なお、原告の前記行状等から、原告には外傷性神経症の疑があることも考えられるので、精神科医の診察を受けさせた方がよいのではないかと附言した。

その後同月二三日、被告原は、前記福祉事務所係官に対し更めて原告の引取方を申立てた。

(三)  立川福祉事務所では右申立に基き協議の結果、原告を自発的に村山療養所から退所させることゝし、同月二五日、翌二六日に村山療養所に原告を引取りに赴く旨連絡した。

被告原は、右連絡に対し、立川福祉事務所係官に対し、原告を説得して自発的に退所させることは困難だろうから、原告の家族の者にも、又精神科医にも連絡して来るのがよかろうと伝えた。

(四)  翌二六日午前一〇時頃立川福祉事務所係官が村山療養所に赴き、先づ被告原に面接し、病状等を聴取したところ、当時の原告の療養態度では、到底医療の好果は望めない情況にあり病状も一応固定しているので自宅療養も可能な段階であるとのことであつたので、別室に原告を呼び、自宅療養をすゝめたところ、右説得に応じないばかりでなく、大声を上げて村山療養所側を罵り、被告原に消火瓶を投げ付けようとする(他人に取押えられて未遂に終つたが)等の乱暴に及んだ。その後暫らく原告の沈静をまつて更に原告に対し帰宅をすゝめたが、原告は市川看護婦に足を蹴られて怪我をしているから、五〇万円賠償しなければ自宅に帰らない旨強弁して、退所を肯んじないので、立川福祉事務所係官は午後五時まで説得に努めた。一方被告原としては、事態がこゝまで来た以上一刻の猶予もなく原告を連れて行つて貰い度い旨強く希望し、患者会としても他の患者の療養に支障を与えるとの理由で、二、三日中に原告の強制退去を求める要求を村山療養所長に提出するとの意思を表明したので立川福祉事務所としては協議の結果、最悪の場合の処置として精神病院転医を考慮し、先づ原告の精神衛生法上の保護義務者である妻年子に対し電話で原告の同日の経過を説明、精神科医の診察の結果、精神病院に入院させる必要があると認定された場合には原告を入院させることに同意するかどうか尋ねたところ、立川福祉事務所に一任する旨の回答があつた。

そこで立川福祉事務所係官は、原告がカリエス合併症であることを考慮し、右合併症の医療のできる各所の病院に連絡したが、何れも満床の理由で断られ、その結果己むなく晴望園病院(同病院ではカリエスの治療は困難である)に生活保護法第二八条により診察を依頼した。なお、その際右成瀬年子の同意のあることも併せて伝えた。

(五)  晴望園病院では、右依頼に基き、同病院事務長柳沢浩が、同病院医師亡富田俊雄(以下富田医師と略称する)に対し、精神衛生法第三三条に基き原告を診断することを依頼した。

富田医師は右依頼に基き村山療養所に赴き、被告原から原告の病状、従来の経過等についての説明を聴いた上原告を診察し、その結果「精神分裂症の誇大妄想狂の型のくづれたもので、数年前から発病していたものではないか」との診断を下した。

なお富田医師は右診察については、診断書その他診察の結果を記載した書面は何も作成していず、また右診断には一〇分乃至一五分を要したのみである。

(六)  富田医師は右診察の結果、原告を医療及び保護のため入院せしめる必要があると認めたので、原告を晴望園病院に入院せしめることゝし、同病院に同行したが、右同行に際し、原告従前の言動から頑強に抵抗し、粗暴な行動に出ることが予想されたので、原告のその様な抵抗を未然に防ぐため、麻酔注射をなして昏睡せしめた。

(七)  晴望園病院柳沢事務長は、原告を同病院に入院せしめ、翌一二月二七日、同院長である被告大原則文に対し、その旨報告した。

(八)  前記(六)富田医師が行つた診察は、被告大原から独立に行つたものであり、被告大原の補助者として行つたものではない。

また、原告の入院は前記の様に柳沢事務長が行つたものであり、被告大原は翌日事後報告を受けたのみで、事前には何も知らされていない。

(九)  晴望園病院においては、翌二七日以後被告辻村が担当医師として診療に当つたその初診時診察の結果は、「精神病質の疑或は靖神分裂病の疑」という診断であつた。(乙第一三号証)その後各種の心理テスト等は行つたが、格別の治療等を行うことなく経過した。

(十)  一方、原告は腰椎カリエス患者であるところ、晴望園病院では腰椎カリエスの治療が出来ず、又原告と病院の折合も悪いので、カリエスの治療も精神病の治療も出来る病院である小林病院に転院せしめることに原告を除く関係者間において内定し、その手続を進めたが、いよいよ転院せしめる当日である昭和三四年一月一四日、更めて立川福祉事務所係官において前記辻村医師の意見を聴いたところ、同医師の意見として「現在の状態では非常に判断に苦しむところで、慈恵医大高良医師の「精神分裂症を疑う所見は認められない」との診断書を本人が所持していることにより強制収容の段階ではない」とのことであつたので、同日晴望園病院を退院せしめた。

成立に争がない甲第六号証中前記(四)認定の事実に反する部分は証人高谷昌弘、同島田豊、同千村彰一、同伊東重蔵の各証言に照して、にわかに措信できないところであり、また被告本人辻村福之助尋問の結果中前記(九)及び(十)において認定したところに反する部分は、右供述により真正に成立したものと認められる乙第一三号証及び成立に争がない乙第一六号証の一、二及び証人宮崎虎雄の証言に対比してにわかに措信できない。

二、被告等は、前記の様に原告を昭和三三年一二月一六日から翌三四年一月一四日迄晴望園病院に入院させた(この事実は当事者間に争がない)のは生活保護法第二八条及び精神衛生法第三三条に基き適法に行つたものであつて、原告主張の様な不法監禁の事実は全くないと抗弁するのでこの点について判断する。

(一)  先づ被告等は富田医師の行つた診察は精神衛生法第三三条に基くものであると主張するので、この点について判断する。

精神衛生法第三三条に基く診察は、精神病院の長が自ら行うべきものであることは、右法条の文言に照し明かであり、これを拡張解釈して病院長以外の精神科医の診察にても可であると解すべき何等の合理的理由なく、却つて、右法条による診察が、被診察者を医療及び保護のため精神病院に本人の同意なくして(勿論保護義務者の同意は必要であるが)入院せしめる必要があるか否かを判定するために行われるものであるから、その診断を誤るときは、個人の身体の自由を不当に拘束することにより、個人の基本的人権を侵害する結果を招来するため、換言すれば個人の基本的人権の保護に重大な結果を及ぼすため、法は特に精神病院の長自らの診察を要求しているものと解すべきである。このことは精神衛生法第二九条に定める知事による入院措置の場合において、二人以上の精神鑑定医(一般の精神科医では足らず、しかも二人以上を必要とする)の診察を必要としている(尤もこの場合は保護義務者の同意がなくても入院させることができるという点において、前記同法第三三条の場合と異るが)ことによつても裏書されるというべきである。従つて精神衛生法第三三条による診察は、晴望園病院長である被告大原自ら行うベきものであると云わなければならない。

然るに被告等主張の原告に対する診察は、富田医師が行つたものであることは被告等の主張するところであり、しかも右富田医師の診察は、同医師が被告大原の補佐としてではなく、独立の地位において行つたものであることは前記認定(一、(八))のとおりであるから、富田医師の診察は、未だ以て精神衛生法第三三条に基く適法な診察ということは出来ないものといわなければならない。

(二)  前記認定の様に原告を晴望園病院に収容したことが精神衛生法第三三条に基く適法なものであるとする被告等の主張は、前記の点において既に失当であるが、更に富田医師の診察の結果、原告が精神衛生法第三三条、第三条所定の精神障害者であるとの診断がなされたか否かについて審按する。

(精神障害者の疑があると診断された場合は、一定の条件の下に仮入院が許されるのみである。(精神衛生法第三四条))

前記の様に、富田医師がその診察の結果について診断書、その他の書類を残していないので結局その他の証拠による外ないのであるが、前記辻村医師が、原告入院の翌日である昭和三三年一二月二七日に行つた初診時診断の結果が「精神病質の疑又は精神分裂病の疑」であることは前認定(一、(九))のとおりであり即ち精神障害者であることについては疑がないという診断であつたかどうかは右によつては明かでなくまた原告が昭和三四年一月一四日退院に際し辻村医師が立川福祉事務所係官に対し述べた意見が「現在の状態では非常に判断に苦しむところで、慈恵医大高良医師の精神分裂症を疑う所見は認められない旨の診断書を本人が所持していることにより強制収容の段階ではない」ということであつたことも前認定(一、(十))のとおりである、右の事実に、原告が晴望園病院入院中の期間も約二〇日間に過ぎず、しかもその間、格別これといつた治療も受けていない事実(このことも前記認定(一、(九))のとおりである。)並びに富田医師は前記認定(一、(五))のように前記原告の診察に僅か一〇分乃至一五分を費したに過ぎないことを併せ考えると、富田医師の診察の結果被告等主張の様に、原告が精神障害者(精神障害の疑ではない)と診断されたと認めることは困難であり、成立に争がない乙第一六号証の二中の富田医師の診察の結果に関する記載も精神障害者と診断した旨の記載であるかどうかその趣意不分明であり、被告原保本人尋問の結果中右に関する部分についても同断である。その他富田医師の診察の結果、原告が精神障害者(精神障害の疑ではない)であると診断されたことを認めるに足る証拠はない。

よつて、原告を精神衛生法第三三条に基き、精神病院に入院せしめたことは、右の点においても違法であるといわなければならない。

(三)  以上(一)及び(二)掲記の様に、前記富田医師は、精神衛生法第三三条に定める精神病院の長にあらずして、原告に対し同法所定の診察を行い且つ同条にいわゆる精神障害者(同法第三条)であるとの診断なくして、原告を医療及び保護のため精神病院(晴望園病院)に入院させる必要があると認定した上右病院に同行した違法を犯したものといわなければならない。

(四)  富田医師は、前記認定(一、(六))のとおり、原告を晴望園病院に同行するに当り、その抵抗を排除するため麻酔注射を行つて原告を昏睡せしめたが、右(三)において認定した様に、同医師の行つた手続が精神衛生法第三三条に違背するものである以上、右麻酔注射を行つたことも亦違法であることは論をまたない。

(五)  晴望園病院事務長柳沢浩は、富田医師から、原告の身栖を受取り、同病院に入院せしめたものであるが右の原告を入院させたことが精神衛生法第三三条に違反するものであることは上来説示したところにより自ら明かである。

三(一)  ところで前記のとおり富田医師が原告を診察し、その結果に基いて入院の必要性の認定を行い麻酔注射をした上、原告を晴望園病院に同行し柳沢事務長が原告を入院させたことは、右両名が共同で不法に原告の身体の自由を拘束したものであつて民法第七一九条の共同不法行為を構成すること明かであるが、被告大原の経営する晴望園病院は同被告の個人経営の病院であり、(このことは被告辻村本人尋問の結果により認められる。)従つて富田医師及び柳沢事務長は被告大原の被用者である。而して富田医師及び柳沢事務長の前記共同不法行為は、同人等が被告大原の経営する晴望園病院の業務の執行に付き行つたものと認むべきであるから、被告大原は使用者として被用者である富田医師及び柳沢事務長の行つた前記共同不法行為につき、民法第七一五条による使用者の責任を負うものと言わなければならない。

(二)  その後原告は晴望園病院に同行され入院させられていた日の翌日である昭和三三年一二月二七日から翌昭和三四年一月一四日迄の間晴望園病院に収容されていたものであるが、右事実は柳沢事務長の報告により被告大原において諒承していたことは前認定のとおりであるから、同被告は右不法監禁の事実につき民法第七〇九条により不法行為上の責任を負うべきものである。

(三)  以上(一)及び(二)において認定したとおり、被告大原は(イ)富田医師及び柳沢事務長が共同して、(1) 富田医師は原告に対し権限なくして精神衛生法第三三条に定める診察を行い、しかも同条にいわゆる「精神障害者」(同法第三条)であるとの診断なくして、原告を医療及び保護のため精神病院である晴望園病院に入院せしめる必要ありと認定した上、原告の抵抗を排除するため麻酔注射をなして、原告を右病院に同行し、(2) 柳沢事務長は、原告の身柄を受取つて右病院に入院させたことについて民法第七一五条に基き、又(ロ)その後原告を昭和三四年一月一四日迄右病院に収容することについて諒承を与えたことにつき民法第七〇九条に基き夫々不法行為上の責任を負うものといわなければならない。

(四)  なお原告は原告が、(イ)原告の保護者である妻の承諾もなく(ロ)又都知事の許可もなく精神病院である晴望園病院に強制収容されたとしてその違法を主張しているが、右(イ)の点については前記認定(一(三))のとおり原告の妻年子が口頭による同意を与えており、右(ロ)については精神衛生法第三三条による入院には都知事の許可は必要とされていないから、原告の右の主張は何れも理由がない。

四、次に被告辻村の責任について

(一)  被告辻村は、晴望園病院の医師であり、同被告が原告の同病院収容中、原告の診療に当つたものであることは前記認定(一(八))のとおりである。ところで同被告は昭和三三年一二月二六日行われた原告の強制収容自体には関係がないことは証人柳沢浩の証言及び被告辻村本人尋問の結果により認められるから、仮に同被告に原告を不法に監禁した責任ありとすれば原告の不法監禁を継続したことに対する責任であるといわなければならない。しかるところ、同被告の供述によれば、同被告は晴望園病院の院長ではないから、精神衛生法第三三条により原告を同病院に強制入院させる権限は有しないものである。従つて、原告を同病院に強制収容することについては固より強制収容を継続することについても何等の権限を有しないというべきである。よつて同被告はこの点において原告の強制収容継続に対する責任を免れるものといわなければならない。よつて、爾余の点についての判断をまつ迄もなく被告辻村には原告主張の様な不法行為上の責任はないものといわなければならない。

五、被告田中、同原、同国の責任について

(一)  被告原は国立村山療養所の医師であり、原告の担当医師として、その診療に当つていたものであるが、原告を晴望園病院に強制収容するについて同被告が関係した内容は、前記一、(二)、(三)、(四)において認定したとおりであり、要するに立川福祉事務所係官に対して原告を自発的に退所せしめることは困難と思われるから、原告を精神病院に強制収容する手続も併せて進められる準備をするよう依頼したこと、及び更にその後事態が険悪化したため一刻も早く精神病院に強制収容する手続をとつてもらいたい旨右係官に強く申立てたこと並びに前記富田医師に対し原告の病状、従来の経過等を説明したことは、これを認めることができるが、それ以上に、前記立川福祉事務所係官又は富田医師に対し、精神衛生法所定の手続に違背しても、原告を精神病院に強制収容する手続を進めるよう申立て、或は右の様な申立てはしない迄も、富田医師及び被告大原が精神衛生法の規定に違反して原告を精神病院に強制収容する手続を進めるであろうということを認識しながら原告を精神病院に強制収容する手続をとるよう依頼する等、原告を強制的に退院させるための手段として精神衛生法による強制収容手続を利用し又は利用を暗に慫慂したことを認むべき証拠もない。又右認識を欠いたことについて過失も認められない。よつて同被告は被告大原富田医師及び柳沢事務長が行つた前記精神衛生法第三三条違反の行為等(前記三(三))については責任がないといわなければならない。

以上の理由により、被告原には、原告の不法監禁について何等責任がないというべきである。

(二)  被告田中については、その責任を認むべき何等の証拠がなく又被告原、同田中について責任がない以上被告国にも何等の責任がない。

六、これを要するに原告を晴望園病院に不法監禁した不法行為については、被告大原には民法第七一五条及び同法第七〇九条に基く不法行為上の責任があるがその他の被告等には原告主張の不法行為上の責任がないといわなければならない。

七(一)  よつて進んで原告の慰藉料の額について按ずるに原告が麻酔注射により昏睡せしめられて精神病院に同行された上約二〇日間、不当に精神病院に監禁されたことにより、心身の自由及び名誉、信用等を侵害され、これにより蒙つた精神的損害は少しとしないものであるが、之に加うるに、抑々精神障害者を本人の意に反して精神病院に強制収容することは、本人の身体の自由を拘束するものであるところ、およそ人の身体の自由を拘束するにはその手続に特に慎重であるべきことは憲法の要求するところであり、精神衛生法は憲法の右の精神を享けて、精神障害者の強制入院について特に厳格な手続を定めている。(同法第二九条第三三条等)精神衛生法第三三条に定める保護義務者の同意による入院の場合において、前記の様に精神病院の長自らの診断及び入院の必要性の認定が必要とされているのも右の理由によるものである。従つて、精神病院の長が自ら診断及び入院の必要性の認定をなさず他の医師のなすところに委ねることは、前記の同法が精神病院の長自らの診断及び認定を必要とした精神に照し、その責任は重大である。この意味において前記三(三)において認定した様に、富田医師が診断、認定、注射等を行つたことに対する、同様に又柳沢事務長が富田医師の右診断及び認定に基き入院の処置をとつたことに対する晴望園病院長である被告大原の責任は重大であるといわなければならない。

(二)  然し乍ら、反面、原告が国立村山療養所から晴望園病院に強制収容されるに至つた経過事情は、前記一、(一)乃至(八)において認定したとおりであつて、要するに、原告は村山療養所入所中、医師、看護婦に対する暴行、無断外出、その他精神障害者ではないかと疑わせるような常規を逸した粗暴な言動があり、そのため村山療養所として、原告を同療養所から退所せしめることが、同療養所の医師、看護婦等同療養所の職員の身体の安全、並びに一般患者の平穏のため絶対に必要となつたこと、しかも原告が自発的退所を頑強に拒否したことが、原告が晴望園病院に監禁せられるに至つた主要な原因をなしているものであつて、かゝる事情は、慰藉料の算定に当つて当然考慮されるべきものである。

(三)  また、少くとも原告が精神障害者の疑があつて、診断に相当の時日を要する者であつたことは、前記二、(二)掲記の理由により自ら明かであるから、仮に被告大原自ら診断をしていたとするならば、原告の強制収容は、精神衛生法第三四条に定める仮入院の要件は具えていたことになる(収容期間も二〇日間であるから、上記法条に定める期間である三週間を超えない。)

八、以上七の(一)乃至(三)の事情を綜合するときは原告に対する慰藉料の額は五万円を以て相当とすべく被告大原は原告に対し、慰藉料として右同額の金員を賠償する義務がある。

第三、請求原因四、について

原告主張の金品のうち原告が紺色背広上衣一着、茶色革靴一足を所持していたことは証人成瀬年子の証言及び原告本人尋問の結果により、又現金若干を所持していたことは証人丸尾静香、同宮崎虎雄の各証言並びに原告本人尋問の結果によりこれを認めることができる。

しかし乍ら、原告が前記金品を亡失したのが原告主張の様に原告が昏睡中であることについてはこれを認めるに足る証拠はなく、却つて証人成瀬年子、同市川クニ、同東条シゲの各証言を綜合すれば原告に麻酔注射をして、原告を晴望園病院に強制収容するに当り、村山療養所第二病棟副主任看護婦市川クニは、原告の所持品の中身の廻り品を、村山療養所で晴望園病院主任看護婦東条シゲに渡し、同看護婦は、これを預つて、同病院に運びその他の所持品は原告の妻成瀬年子が原告が晴望園病院に収容された翌日である昭和三三年一二月二七日村山療養所の原告の病室から運び去つたことが認められ、右の状況によれば、原告主張の金品は、仮に亡失したとしても原告が昏睡中に亡失したものでないことは推認される。なお、証人成瀬年子の証言中には、成瀬年子が前記の様に村山療養所に行つた際、原告の所持品が原告のベツトの上に散乱していた旨の供述が見られるが右供述は前記市川クニの証言に照し、当裁判所のにわかに措信しないところである。

なお、原告主張の金品が晴望園病院において亡失したものでないことは、証人吉沢美生子の証言により真正に成立したものと認められる乙第一五号証並びに同証言及び証人東条シゲの証言によりこれを認めることができる。

以上の理由により、原告の右請求も理由がない。

第四、請求原因五について

国立村山療養所有山事務官が原告主張の金五〇〇〇円在中の書留郵便を受理したことは、当事者間に争がないところであるが証人皆川ツヤ、同市川クニ、同浦松和佳子、同丸尾静香、同宮崎虎雄の各証言を綜合すると右書留郵便は、当時村山療養所第二病棟主任看護婦皆川ツヤが原告の許に届けたことを認めることができる。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は右各証言に対比して当裁判所の措信しないところである。

よつて爾余の点について判断する迄もなく、原告の右請求は理由がない。

第五、以上第一乃至第四掲記の理由により原告の本訴請求は、請求原因二、掲記の請求中、被告大原に対し金五万円の慰藉料及び右に対する訴状送達の翌日である昭和三四年五月二八日以降完済に至る迄民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当として認容すべく、同被告に対する右請求のその余の部分及びその他の被告に対する各請求は何れも失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、被告大原を除くその余の各被告との間に生じた部分は全部原告の被告大原との間に生じた部分はこれを四分し、その三を原告の、その一を被告大原の負担とし、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 池田正亮 高瀬秀雄)

別紙〈省略〉

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